東京の郊外、青梅市。
御嶽山などの山々に囲まれ、多摩川がすぐそばを流れる柚木町にK邸はあります。
いま注目の都会と田舎の両方の良いところを併せもつ「トカイナカ」。
自然豊かなこの地は、K邸のご主人が生まれ育ち、奥様も結婚以来20年以上住み続ける愛着のある場所です。
夫婦ふたりの生活となり、
あえて新居はコンパクトに!
青梅線の石神前駅から歩いて20分ほど。多摩川を渡り、深い緑の道を抜けるとK邸が見えてきます。
取材に訪れたのは夏真っ盛り。丹念に手入れされた広い畑には、まん丸としたナス、赤や黄色のトマト、かわいらしい小玉スイカなど、季節の野菜や果物が収穫の時期を迎えていました。
Kご夫妻
薪ストーブとイラン遊牧民手織りのギャッベ。鮮やかな朱色に奥様がひとめぼれ。
畑のナス
中庭の緑と採光が家じゅうを満たす
K邸は、木造平屋建て。Kさんと奥様(ともに50代)の二人暮らし。
敷地は畑も含めると500坪を超えるそうですが、二人の子どもも独立し、あえて新居は減築へ。延べ床面積は29坪あまりというから、間取りはコンパクトにまとめられているのでしょう。畑の前に設けられた豆砂利荒い出しのアプローチを通り、和と洋が融合した建物の玄関へと足を運びます。壁面に目を向けると、鍛鉄工芸家の西田光男さんが手掛けたという印象的な表札が出迎えてくれました。
玄関から中に入ってすぐ、正面の大きな窓が目に入ってきます。洒落た障子扉を開けると、窓の向こうにはシンボルツリーが聳える中庭が広がっていました。玄関スペースは暗い家が多い印象ですが、K邸の玄関は中庭に面しているお陰で、たいへん明るい雰囲気です。
取材に訪れた私たちは、まず家中にたちこめる木の良い香りにうっとり。
「お客様がいらっしゃると皆さんそうおっしゃるんですけど、私達は普段木の香りは感じてないんです。もうその空気が当たり前になってるみたいです。たまに旅行などで長期間家を空けて戻ってくると少し感じたりするくらいかな。」自然素材に囲まれた暮らしは、早くも身体に良い変化があるようです。K邸は、玄関スペース、LDK+和室、バス+洗面所+トイレ、夫婦の寝室が、中庭を囲むようにロの字に配置され「家の中をぐるっと一周できるようになっています。この間取りに決まるまでは、一年くらいかったでしょうか」と、この家の主であるKさん。
中庭に面した大きな窓を開けると、さわやかな風が家じゅうを吹き抜けていきます。
玄関@目の前には中庭のヤマボウシが見える
外観
「旧家も築40年以上が経ち、そろそろ住み替えを…と考え始めていたとき、『自然素材でつくる 呼吸する住まい』をコンセプトにした光設計に出会いました(奥様)」。
住宅に関する情報を集めるのが好きで、時間があると雑誌やテレビなどで関連するものを見てしまうそうで、気が付くと自然素材のものにばかり目がいってしまうのだとか。もともと奥様は、自然豊かな山梨県の清里近くで生まれ育ったこともあり、優しい自然素材のものに囲まれた環境が暮らしていてしっくりくるのだといいます。
そんな奥様の愛読書は、季刊誌『チルチンびと』。あるとき誌面に掲載されていた、『光設計』の栗原守さんが手掛ける住宅を目にし、すっかり気に入ってしまったのです。さっそく夫のKさんにも伝え、光設計のホームページを検索。イメージがどんどん膨らんで、「思い切って、夫婦ふたりが快適に暮らせる、終の棲家に建て替えたい! 栗原さんにお願いしたい!」と思うようになりました。
建築家の栗原さんには、家のどこにいても自然の光を感じられるような、そんな空間をオーダーしたというKさんご夫妻。「中庭という考えはまったく頭になかったので、ご提案いただいたときは正直あまりよくイメージできていませんでした。でも、今では中庭がない間取りは考えられないほど、ものすごく気に入っています。まさに、どの部屋にいても光を感じられる家になりました」と、嬉しそうなKさん。
また、壁は調湿効果に優れた月桃紙を、天井や壁も贅沢に無垢の木を使用。
壁や床に関しても、栗原さんと相談して、自然素材のものから選びに選び抜き、断熱材にも羊毛のウールブレスという天然素材を使う徹底ぶりです。
リビング天井@自然素材の木目が美しい
寝室
以前住んでいた家は、地元の大工さんが建てた昔ながらの入母屋造。「切妻造の瓦屋根が存在感を放ち、その外観は格式がありましたが、とにかく室内が暗くて…。ひとつ一つの部屋が広いこともあり、冬は特に暗くて寒いのが悩みでした。また、生活導線も考慮されておらず、何かと不便を感じていました」。
同じ木造平屋でも、旧家と今の暮らしぶりはまったく変わったそうです。「生活導線がきちんと考えられていて、暮らしていてストレスを一切感じません。それどころか、暮らせば暮らすほど、わたしたち二人にしっくり馴染んでくるように感じています」とKさんご夫妻は口をそろえます。
「キッチンはできるだけコンパクトにまとめ、ダイニングとの行き来が楽な間取りを希望しました。だんだん手の込んだ料理もつくらなくなってきたので、キッチンはあまり広いスペースは必要ないかなあと思って。家の前の畑で育った野菜や果物を、さっと調理できるスペースがあれば十分です」と奥様。
すっきりとしたステンレスの一体成形のキッチンに立つと、リビングを挟み、和室南側の窓越しに畑が望めるようになっています。ここに立ち、窓の外の景色を眺めるのが奥様のお気に入りの一つ。それでも、和室とLDKを合わせると空間は26畳に。天井は最も高いところで3.8mほど。コンパクトながら、中庭に面したリビングは開放感抜群です。
「お風呂もすごく良いんです。初めはユニットバスをご提案いただいたのですが、木のぬくもりや香を感じたくて、壁や天井にカナダ杉を使ったフルオーダーにしました。その分、お手入れは大変ですが、お掃除にも身が入ります」と奥様。浴槽に体を横たえると、ちょうど目の高さに坪庭が見え、非日常的な雰囲気すら味わえる、とっておきのバスルームです。
バスルーム@壁や天井にカナダ杉を使ったフルオーダー
奥様のお気に入りスペース@一枚の絵のような窓の景色をながめて飲むお茶の時間が至福の時。
青梅の冬場は思った以上に寒く、気温がマイナスになることもしばしば。「小さいころから暖炉がほしいと思っていた」というKさん。「暖炉がある家に、ずっと憧れていたんですよ。暖かな炎を見ると、心まで温かくなってくるような気がして…」。そこで、栗原さんが提案したのがメトスの薪ストーブ。「冬場はこの薪ストーブが大活躍です。一台で家じゅうが暖かくなり効率的。夕方に火をくべると夜は置き木となり、朝まで暖かいんです。旧家は寒くて、朝起きるのが億劫な日もありましたが、新居になってからはそんな悩みはなくなりました。床暖房も設置したんですが、ほとんど使ってないですね。」と暖かい新居にKさんも大満足。
ストーブの燃料となる薪を割る作業は、もっぱらKさんの仕事。寒くなる前に切り出しておくのだそうです。
「以前は本当に寒いばかりで冬が嫌いでした。でも今は薪割りという趣味が一つ増え、好きな季節になりました」と、楽しそうに薪割を見せてくれたKさん。大谷石の小端積みで仕上げられた手の込んだ腰壁は、薪ストーブやリビングルームともなじみ、ここにもKさんご夫妻のこだわりが感じられます。
キッチン横には、小スペースながら使い勝手のよさそうな書斎が。「書斎というものに、ずっと憧れていたので…」とこちらも、Kさんの念願のスペースのようです。つくり付けデスクの上の棚には、Kさんが愛読するビジネス書や文芸本がびっしり。「本を読んだり、ちょっとした仕事をこなしたりできるので、活用しています。読書が好きで、お気に入りの本をさっと取り出し、ゆっくり読める空間があるって幸せですね」。トイレにもちょっとした本棚があり、ここにも再読したい本が美しく並んでいます。
ご主人様のお気に入りスペース@念願の書斎
家仕事というより、Kさんの趣味のひとつになりつつある薪割。
「終の棲家となる新居は、間取りはもちろん、壁や床の素材、家具やインテリアに至るまで、とことんこだわりたかったんです」
その筆頭に挙げられるのが、一段上がった造りの、小ぢんまりとした和室の襖戸。なんとこの襖戸には、江戸時代より日本で唯一続いてきたからかみ屋『唐長(からちょう)』の雲母摺り(きらすり)が用いられています。
かつて、白洲次郎・正子夫婦が暮らした「武相荘」の書斎にも使われていたもので「たまたま見ていたTVで襖が映って。光の射し加減で、文様が消えたり浮かび上がったりする襖がキラキラっと光ったのね。あまりにキレイでひとめぼれしてしまって…」(奥様)。
以来、いつか建て替えた際は、ぜったい新居に取り入れたいと思うようになっていったといいます。
しかし、京都の老舗が手掛ける貴重な品を、すんなり注文することはできませんでした。「初めは難航しました。寺社仏閣などの重要文化財を手掛ける京都の老舗ですから、いたしかたないのかもしれないと思いました。でも、あきらめず、何度も粘り強く交渉したんですよ」(Kさん)。念願かなって雲母摺りが手元に届くまでには、1年以上かかったという。雲母摺りが映えるようにと、建具屋さんにお願いして、手引きには桂離宮風のものを組み合わせたそうです。
こだわりは、着工時の現場にも――。
K邸の着工が始まってからというもの、毎日のように現場を見守り続け、施工した『技拓工房』の現場監督、職人らと、いろんな話を交わしていたという奥様。「洗面所やキッチンのタオルハンガーを出っ張りのないものにしてもらったり、リビングに散らばりがちなスイッチ類は棚の中にすっきり納まるようにレイアウトしてもらったり…。そんな細かいこだわりにも、現場レベルでとことん向き合ってくれたのには、本当に感謝しています」。
Kさんは施工当時を振り返って、「自分が見ているかのように、家が建っていく様子を妻が詳しく教えてくれて…。仕事から帰って家の話を聞くのが、毎日の楽しみにもなっていたんですよ」と嬉しそう。
家づくりの思い出があふれんばかりに詰まったこの住まいだからこそ、より日々を慈しんで丁寧に暮らせる。
K邸――暮らせば暮らすほど、愛着が生まれる家。
-夏の盛り、もぎたて野菜と木の香り。Kさんご夫妻の暮らしの1ページ-
掛け軸窓@褐色の珪藻土の壁は、粗い櫛引で仕上げられています。「ちょっとした空間ですが、小さな窓から望む風景は、大きな窓から眺めるのとはまた違った趣きがあって…」とKさん。ふとした瞬間に眺めたくなるそうです。
和室@からかみ屋『唐長』の雲母摺りの襖。眺める角度によってキラキラ光ります。
Q1:建築家に依頼しようと思った理由
以前、ガレージ上に、離れを建築したのですが…。地元の大工さんにお願いしたところ、細かい注文が受け入れてもらえず、満足いく仕上がりにならなかったので、母屋を建築する際は、絶対に建築家に頼みたいと強く思うようになりました。(奥様)
Q2:家を建てる前に想像していたよりも良かったこと
中庭という考えは、まったくありませんでした。中庭を囲むように各部屋が配置されているので、外からの光が差しやすく、どこにいても明るいところが、とにかく気に入っています。(ご夫妻ともに)
Q3:家づくりで苦労したこと・思い出深いことは?
壁や建具に至るまで、好みのものをそろえたかったので、探したり、交渉したりするのに時間がかかったものもあり、楽しくもあり、大変だったとも、言えるかもしれません。(ご主人)
Q4:建築家から提案されたことで、取り入れてよかったことは?
キッチン横に勝手口を作りました。最初はいらないと思い、設計図から外してもらったのですが、最終的には設けることに。畑仕事をした後に、ちょっと野菜や果物を置いておく場所として重宝したり、ゴミ出しの際にもキッチンからサッと外に出られたりするので、結果的に取り入れてよかったと思います。(奥様)
Q5:家の中で一番のお気に入りの場所は?
家じゅう、どこもかしこも気に入っていますが、強いて上げると、バススペースです。初めは、ユニットバスをご提案いただいたのですが、しっくりこなくて。最終的に、オーダーメイドにしました。浴槽と、壁面はカナダ杉のものを、浴槽はカルデバイ製(ドイツ)のホーローのゆったりとしたものを選びました。坪庭を望む開放的な空間は、つい長居してしまうほどです。(ご主人)
取材後記
中庭を望む部屋には、ゆったりとした空気が流れている。ダイニングの窓を大胆に明け放つと、部屋に居ながらにして屋外にいるかのような解放感を味わえる。日常的に、外からの視線や騒がしさを気にしなくてよいというのは、最高の贅沢であることを知った。(ライター:青木)
この取材の間、Kさんご夫妻の家の中には、森や山の中にいるようなゆっくりとした時間と澄んだ空気が流れていました。
東京都下でありながら、まるで避暑地に来たようにすうっと酸素が体をめぐり、「呼吸のしやすい住まい」でした。
私がとても印象に残ったのは、玄関を開けた瞬間に香る木の香りをKさんご夫妻が「もう香りを感じない」と仰ったこと。
それが本物の自然素材に囲まれた空気を、体が日常としている証なんだなぁ、と羨ましくなりました。
Kさん、光設計室さま、ありがとうございました。(編集:森本)
光設計 栗原守